例えば中島らも先生の永遠も半ばを過ぎてを読み終わった後に町田先生の俺、南進して。を再読、その後に綿矢りさ先生のかわいそうだね?を読んだ場合の心境として文体による表現の可能性の底知れなさに吐き気。これが綺麗な文章ってもんかと無意識に呟いてみたりするけど、本当のところ文学などよく知らない。
葉っぱの匂いがする様な鬱屈した本ばかり続けて読んでいたせいもあって久々に読んだ女性作家の恋愛小説、こりゃ苦しいと思いながらも分かりやすい文章と起承転結がスラスラリズムよく流れていく。時計は朝の5時、外は霧に浮かぶオレンジ。あ、韻踏んだ?
精神がザラザラするって表現に友人が笑ったところで我に返る。
いくら諦めていると心に確認して生活したところで勝手に心は動くわけで、私がもっともっと粉々に心を砕かなければ信じないことも、期待しないことも好意を持ってしまうことも無意識的にしてしまうのだと思ったし、また勝手に擦り傷程度のそれで1人めそめそしてしまうのだと思う。
傷付きたくないからもう人と関係を深めることを一切したくないと思うに至った。他人からすればそんな理由でとか、そんなの怖がってたらどうしょうもないとか思われるんだろうって思う。たくさん傷付いたり傷つけたりしながら人は人として成長をしていくんだろうとも思う。でも私はもう無理って思った。言葉は言葉の表面だけではないし心は見えないし触れない 不確かなものに自分の心を預けたまま、今も心が戻ってきていない。もう誰かに渡せる心がないように思う。それなのに自分の心の痛みばかり気になる。本当は寂しい気がするし この人 という人は信じてみたいと思う。きっと信じていられるときの心の余裕は温かい。そういうことが心を預けるという事なんだと思う。
ああいてぇ痛え痛えいてぇよおって。酒。どうしょうもねえって、酒。どうしょうもねえんじゃなくて、どうにかしようとしてねえだけだろうっつて。1つの事で100考えてたら頭もイカレるだろうし世間との軸も当然ズレる、大幅に。たまに田中さんを思い出して優しい気持ちになる。 あ〜〜〜〜ー好きになってもいいかと聞いてきた君の気持ちが今わかる、怖いことだらけ。わかって欲しいというよりただ知って欲しいと思うからこんなどうでもいい文章を更新してしまう。
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